息子には、発達性強調運動障害もある。おそらくは確定であるはず。
なぜ「おそらく」や「はず」がつくかというと、限局性学習障害の困難が飛びぬけているので、発達性強調運動障害のほうはオマケの扱いになってしまうから。
病院でも、学校でも、読み書き障害の話で、時間をいっぱい使ってしまうので、相談の優先順位が低く、後回しになっている。
病院のテスト結果の説明の時に「身体や手先を動かすのに不器用さがあります」との説明もあったので、あると考えて生活をしている。
発達性強調障害も「診断書が必要です」となり、診断書がないと話にならない気もしている。
診断もテストも受けていないが、おそらくは私もこの障害持ちだ。
発達性強調運動障害の説明で、手と足と目の動きの連携がぎこちない、というものがある。
飛んでくるボールの距離感がつかめないで、ボールがとれない。
ボールを上手く蹴られない。
折り紙ができない。
楽器の演奏が難しい。
息子が学校で受けた一番最初のテスト結果の説明で「手先が不器用です」とあったのは、ここに繋がりそうな気もする。
私の体感だけれども、跳び箱も苦手なはずだ。
跳び箱に向かって走る。
本人が跳び箱に近づいているのだけれど、視界では跳び箱が近づいてきている。
近づいてきている=動いている跳び箱に、手をついて飛ばなくてはいけないのだけれど、怖くて止まってしまう。
出来ないので叱られる。
私の体育はずっとこんな感じの繰り返しだった。自転車も乗れない。
自転車も怖かった。
自転車のスピードに流れる景色を、目が捉えられなかったんだろうと思う。
「そこで止まるな!」「なぜ、できないんだ!」に説明ができなかったが
動いているものを眼が処理できてなかったのだと、今わかった。
体育への恨みつらみがある学生時代なので、あまり思い出したくない。
時代が変わったのもあるが、息子の学校では「連帯責任」の叱り方は今のところはない。ありがたい。
ピジョントレーニングを私と息子と二人でやっている。
私には今さら体育も何もないが、息子も私も
「ちょっとは体育がうまく出来るようになるんじゃないかな」
と、期待がある。