黒板のカメラ撮影をはじめてから、息子は「読める文字」がぐんと増えた。
当てずっぽうではなく、きちんと読めた。
書き文字は増えなかったが、字の間違いが減った。
学習の理解も格段に上がった。問題が読めないから、わからないということも減った。
「つまらない」と言っていた日本のアニメをよく見るようになった。
歌うようになった。
生意気も言うようになった。
笑顔が増えた。
一方で、あんなに得意で執着があった英語への熱意が消えた。
あんなに英語圏のユーチューブばかり見ていたのに見なくなった。
「最近、英語のユーチューブを見ないね」
と、息子に聞くと
「なんかもう、英語を忘れちゃった」
と、けろりと答えた。
日本語が頭に入ったので、代わりに頭に入っていた英語が出て行ってしまったのだろうか。
英語が話せるのは、息子の立派な長所で、大人になった時の武器になるかもしれないと期待をしていた。
将来の武器がなくなったように感じた。
がっかりしてしまったところがあるけれど、元には戻せなかった。
ドラえもんを面白いと言っている。ぼくのヒーローアカデミアに夢中になっている。仮面ライダーのおもちゃを欲しがっている。
私が「もうちょっと興味を持ってほしい」と思ったものに興味を持っている。
そうそう都合のいいようにはならないのだ。
できるようになったことをみよう。