息子が幼稚園の頃、小学校に上がる準備を始めた。
ひらがなの練習を「つ」「く」「し」から学習させようとした。
書けない。読めない。三角えんぴつを持ったまま固まっている。
「つ」も書けない、「く」も書けない、「し」も書けない。
「一本線を書いてごらん」「丸を書いてごらん」
不安そうな顔をしている。
どこまでできて、何ができないんだろう。息子からなにかでてくるかもしれない。待ってみた。
一時間が経ち、二時間が経った。
音楽も、テレビも、スマホもついていなかった。
当時の私は、かんたんケータイのパカパカと開くケータイの利用者だった。
静かな部屋で紙にむかって、ただただ息子は座っていた。
見ていて頭が真っ白になっているとわかっていたのに、言ってしまった。
「どうして「し」が書けないの?」
「おかあさん、ごめん、ごめんね」
謝罪の言葉がでた。書けなくてごめんねと息子は本当に悪いことをしたと、取り返しがつかないことをしたように謝ってきた。
わざとじゃなかった。
書けないのだ。できないのだ。どうしたらいいのかわからないのだ。
私にわからないことを子供に聞いてしまった。答えがないことを子供に聞いてしまった。
できないものはできないのに。
この時に、息子に何かが足りないのは分かった。
この時に「どうして、できないの?」と息子に聞くことはしないと心に決めた。
現在、息子は10歳で、この誓いはまだ守っていられる。